「あの子を手に入れる」
手に入れたい、なんて優しいものではなかった。それは希望でも願望でも予定でもない。
確定された未来。それを実現させる為の、おごそかな宣言だった。
「草壁」
「はい」
「僕はあの子を手に入れる」
その瞬間のその台詞を、自分は夢見心地で聞いていた。唐突にもたらされた宣言。
事件以来、毎日訪れる沢田。つい先程までいたその存在が退室した病室は静かで。
大きくもないその声が、やたらとよく通り、空気にふりつもるような感覚を味わう。
沢田の退室していく背を、ぼんやりと見送った漆黒の瞳が、何かを思うように細められて。
頭が真っ白になるような衝撃の中で、かの主が10年積もり続けていた感情の正体を知ってしまったことを、知った。
話しかけているが、その言葉は決して自分に向けられたものではなく。何かを自分自身で確認するような。
(いつの間に・・・・・・)
きっかけといえば、つい先日の事件だろうか。何かあったのかもしれない。
主の落ち着きに、自分の中の動揺も幾分か落ち着く。
決定事項のように言い切る口調が、主らしいと思った。ああついに。
「・・・・・・気づいていたね」
「はい」
自覚してしまえば違和感を覚える態度。主はそれに気づいた。
そう、自分は知っていた。本人よりも早く。
その年季の長さでは沢田の母親には叶わないけれど、それを除けば、2人の誰よりも近い場所にいたのだから。
「僕にこういう感情があるとは思わなかったけど」
主の声は愉快そうだった。意外な状況を楽しんでいる。
確かに、主を知る人間からしてみれば、まさか主にそういう感情があるとは信じられないだろう。
似合わない、とも思うかもしれない。自分でさえ、違和感を感じることがある。
それでも、自覚してくれたことは嬉しい。身近で見てきただけに、そのじれったさにはやきもきしてきたのだ。
どちらも自覚したとなれば、さすがに近いうちに進展する可能性が高い。
主と沢田が並んで微笑みあっている姿(いやまあわりといつもだが)を思い浮かべて、浮かんできたのは確かに歓喜だった。
ただそれにどう返せばいいのかわからず、沈黙したまま立ち尽くす。
「どうしようか。一般的にはこれから僕はあの子に好かれるように努力しなければいけないらしいけど――」
一般常識を一応知ってはいたんだなぁとちょっと感動。複雑というか、困惑に近い微妙な表情をした主を新鮮な気持ちで眺めながら。
「僕はあの子に好かれている」
「はい・・・・・・はい?」
きっぱりと。
疑いのない自信に満ちた言葉。
反射的に肯定しかけて、唐突に言われた台詞に思考が停止する。今何と言った。
好き。
誰が誰をだ。
沢田綱吉が委員長を。
誰がそんなことを?
今まさに自覚したことがわかった委員長ご本人が。
(なにぃいいいいいいいいっっ?!)
いやいやいやいやいやいやそれはまず間違いなくそうなのだがええまさか気づいてるんですかまさかの即解決?!
想像の中で微笑みあっている2人がいつも間にか軽くそれを通り越してウエディングドレスを着た沢田と
真っ黒なスーツ(白は絶対に着ないだろう)をまとった主に変わっている。いや主のことだから和風か?白無垢?いや問題はそこではない!
自分自身につっこんで驚きと疑心と混乱と多いな期待にくわっと目を見開いてその意味を咀嚼する。
はやる気持ちをどうにか抑え込み平静を保とうとする。
この高揚感はどうしたことか。先程の落ち着きはどこへ消えた。こ、これはまさか。
ごくりと生唾を飲み込む。恐る恐る口を開いた。はたして声は震えてはおるまいか。
「ええ。間違いなく」
「うん。喧嘩も嫌いなくせに、これだけの扱いを受けておいて、よく僕に懐くものだね」
・・・・・・儚い夢だった。
「あんまり好かれるようなことをした覚えはないんだけど。都合がいいと言えばいいけどね」
本気だ。これは本気だ。泣いてもいいだろうか。灰と化すかと思った。そんな馬鹿な。
これが主本人の前でなければ今すぐのけぞってうなだれたい。ちくしょう神なんているものか!
(いいんちょおおおお!!!)
そっちですか?!期待が期待だっただけに落胆も凄まじい。
違います。それは違うんです。逆なんです。
貴方が好きだからあの扱いも平気でいられるんです。自分がいうのもなんですがその乙女心を察してください!
好かれている事がわかっているならついでにその種類も気づいてやってください!
どこかで似たような事を思ったような気がしながら内心叫ぶ。そうだ沢田にも同じような事を思った。
そうこうしているうちに主は恋愛感情ってどうやってもたせるものだろう、と的外れな事を考え始める。
一応アタックするべきだという一般常識はわかっていたらしいがさすがにその方法なんて知るわけないらしい。
ちなみにもうとっくの昔に、もしかすると始めから沢田の好意は恋愛感情だ。
自分なんてつい昨日、主の好みを聞かれたばかりだ。
これはあれか。いくらなんでも好かれていることぐらいはわかっていることに喜べと言うのか。
虚しいにもほどがある!!
黄昏たかったが、主に好かれたいと必死だった沢田を思い出す。協力しようと宣言した。
沢田には何を聞かれたんだったか。ああそうだ。
「・・・・・・ちなみに委員長は沢田がどのような人間を好くと思われますか」
「世間一般で優しいと分類される草食動物」
肉食動物の象徴のような主は即答だった。ええー。
「あとは強くて頼りになる相手。暴力は嫌いでも強い人間には憧れているようだし。
ああ、外見でいえば黒髪も黒い目も好きだよね。自分の髪にコンプレックスがあるのかな」
わりと好きなのに。さり気なく惚気だ。そうですか。好きなんですか。自覚して隠そうという気はゼロなのですね。
確かに沢田は色素が薄い。本人が気にしているのも見た。そうともまさに昨日。
何故だろう。間違ってはいないはずなのにずれているのは何故だろう。
「温和で温厚で包容力のある平和主義者で喧嘩もしないなら完璧なんじゃない?ああ、そういえば僕とは間逆だね」
短気で自己中で唯我独尊で凶暴で戦闘マニアな喧嘩好きの自覚はあるらしい。
自分で言いながら何故好かれているのか本気で不思議になったのか、あの子、変わってるね。と感心している。おいおい。
「・・・・・・正反対というわりに、落ち着いておられますね」
そう。そういった意味で好かれているなんてまったく思いもしないくせに、あまり焦りが見られない。
いつもと同じように平静で愉しそうだ。それを訝しく思う。
主の沢田への感情は、そこまで軽いものではないはずだ。それは深く根本に根付いているような類の。
恋情。愛情。思慕。執着。
己以外があの子どもを傷つけるのをとみに嫌い、奪おうとするものには殺意を抱く。
恐れさえ抱く、ほどの。
「ああ、いざという時は既成事実を作るからいいよ。子どもでもつくれば一発なんじゃない?」
(逃げてくれ沢田ーーーー!!!)
正直緊張していたというのに返ってきたのはあっけらかんとした返事。
ある意味更に性質が悪かったが。
「あの子は押しに弱いし流されやすいし、頼まれたら断われない。強引に攻め寄ったら混乱しているうちにどうにでもなるさ」
好かれてるしね。真顔で自信満々にそんな事を言われても。色々大事な過程をすっとばしている。何故そう極端なのか。
しかもまず間違いなくそれはそう遠くない未来の話だろう。なにしろその声は少し待ち遠しそうだ。
唯一の主はそう気は長くない。いつ『最終手段』を持ち出すのかは主の気分次第。
かの子どもは色んな意味で危険らしい。すまん、俺では委員長を止められない。頼みますから無体なことはやめてください・・・・・・。
(ああ)
沢田がすでにそういう意味で主に好意をもっていて本当によかった。
無理強いになないことだけが救いだ。せめてその前に気持ちを伝えるぐらいはしていて欲しいと切に願う。
(もし本当に子どもができてしまったりしたらせめて面倒を見るくらいは手伝ってやるからな・・・・・・!)
自分の弱さを噛み締め、涙ぐみながら誓う。むしろそれだけしかできない。頑張ってくれ。
とりあえず内心は二日続いての男泣き。
草壁哲矢14歳。秋の初めの出来事である。
ここでうっかり子どもの面倒をみることを誓っちゃったら未来は色々確定です。(え