奏上品の中に、社交辞令程度でおまけに付けられていたその薄い紙切れ。
必要がないと判断し封筒ごと捨てようと動いた手が、しかし一瞬ののち止まった。
屑篭へと伸ばされた腕を戻して視線、しいては意識をその紙切れへと映す。
強い色彩で、その名を強調する大きく描かれた文字。
何かを思い出しながら、思案すること数秒。
傍目にはわからない程かすかにその表情が和らぐ。そして室内の時刻を表す秒針を確認すると、
雲雀はそのまま無言でその部屋を後にした。



こんなこともありました



「きょうやさん!」
ぱぁああ、といつにも増して嬉しそうに自分を迎える子どもに、わずかに戸惑ってから、
やぁ、と挨拶をする。いつもならそのまま子どもを連れ出すのだが、今日の用はそれだけではなかった。
「少し上がるよ」
お邪魔します、と礼儀正しく呟いてから靴を脱ぐと、子どもは今度は目を輝かせる。
「ほんとですかっ?!」
「?うん」
いつにない鬼気迫る勢いで確認されて、雲雀はわずかに戸惑った。何なんだ。
なんだか今日の子どもは普段よりもはしゃいでいる。空気が違った。
「あら恭ちゃん!」
移動した先、客を確認しにきたのだろう、廊下の向こうからやってくる子どもの母さえ顔を輝かせるものだから、
いつも歓迎はされるが、ここまでなのは初めてだ。今日は何かあっただろうかと雲雀は首を傾げる。
これといって雲雀の頭に浮ぶものはない。これといって何もない平日である。
原因を探ろうと観察し始めた奈々の手にはクリームのついた泡だて器。
机の上にしかれた新聞紙や銀のボールまであるあたり、どうやらお菓子作りをしているらしい。
珍しいな、と思う。
今はまだ午前中だ。基本的に奈々はおやつの為にお菓子の類を作るので、
大抵その作業は昼食の後に行なわれている。それがこんな時間から。
心なしかその雰囲気もいつもより上機嫌で、鼻歌まで歌っている。
子どもと揃って様子がおかしい。
「・・・・・・何かあったの?」
「え、えと・・・・・・」
一人考え込んでいてもしょうがないので、子どもに視線を向けて問えば、照れたように笑う。

「おれ、きょうたんじょーびなんです」

えへへ、とはにかんだ笑顔は無邪気だ。おずおずと遠慮をみせつつ知らされる新事実に、雲雀は目を丸くする。
「誕生日・・・・・・」
なるほど。それでか。
子どもが浮かれている理由も、奈々がこんな時間から嬉々としてケーキ(なのだろう、多分)を作っている理由も。
きっと今から作らないと間に合わないほどのご馳走でも作る気なのだろう。
今日は確か十月十四日だ。先程確かめたばかりの事実であるがまったく印象が変わってしまい、なんだか不思議な心持ちになる。
雲雀とは違い、なんでもないような平日だったが、この日に、子どもは生まれた。
そう思うと、学校が休みになる雲雀の誕生日なんぞよりも、ずっと価値があるように思える。
ふと、今日の一番の目的を思い出す。
「ああ、じゃあ丁度いいかもね」
「?」
「あげるよ。プレゼント」
まあそういう予定ではなかったけれど、今はそれしか丁度良いものは所有していない。
トンファーならあるが、そんな物、子どもは貰っても仕方がないだろう。

「誕生日おめでとう、綱吉」

こんな言葉、他人に言ったのなんて初めてだ。思ったよりも心の底から出たそれに、
自分自身が一番驚いて、内心の動揺を押し隠しつつ手にもっていた封筒を差し出した。
子どもは固まった。
これでもか、というほど目を見開いて、雲雀とその封筒を交互に確かめた。
まるでこれが現実なのか疑ってさえいるのかと思える程しつこく、焼き切れそうなぐらいその封筒を凝視している。
「く、くれるんですか・・・・・・?」
「いらないならいいけど」
「いいいいいいりますっ! すっごくいります!」
慌てて奪い去るように雲雀の手から白い封筒を受け取ると、
今度は奪われまいとするように子どもはそれを抱きかかえる。
「別に今更返せなんて言わないよ」
「だ、だって・・・・・・」
子どもはしばらく警戒していたものの、雲雀に本当に取り返す気配がない事を感じとったのか、
安心したように封筒を取り出す。雲雀が驚く程真剣に見つめる眼差しは、だんだんと和らげられていった。
興奮しているのかその頬がじわじわと染まり、やがてそれはくすぐったそうな満面の笑みへと変わって、

「ありがとうございますっ・・・・・・!」

本当に本当に嬉しそうな顔で、顔を綻ばせて。
「オレ、かあさんじゃないひとからプレゼントもらったのはじめてです!」
しかもその相手が雲雀だなんて、どれだけ幸せなことだろうか。
子どもの心底嬉しそうな様子に、雲雀は満足感を得ると同時に、ほんのわずか後悔した。
これは元々子どもにあげるために持ってきたものだ。初めは捨てる気だった。
だがそれをやめたのは、子どもの顔が思い浮かんだからだ。雲雀にはいらないが、
子どもは喜ぶだろうと思って。そう思うと身体は勝手にここへと向かっていた。
ただ、本来の目的は、こういう形ではなかった。本当に気が向いたから、捨てるよりはと思っただけで。
『誕生日プレゼント』という特殊な位置づけになってしまったそれが、
他人が用意した物である事が悔しい。それを、ここまで喜ばれてしまった事が悔しい。
子どもが喜ぶのは、雲雀の行為に対してあるべきだと思う。
思う自分を、疑問にも思わなかった。
中身もわからにのに雲雀からもらえたという事実だけで封筒を宝物のように見つめ続けていた
子どもの心はようやく現実が戻ってきたのか、疑問符を浮かべる。
「ところでこれなんですか?」
「あけてみればわかるよ」
子どもはその指示通りいそいそと封筒を開く。中からでてきたのは長方形の紙切れ二枚。
「・・・・・・?」
どうやら子どもは中身を見てもわからないらしい。
透かしてみたり横にしたり裏返したり、とりあえず観察してみている。
もちろんそんな使い方をするものではない。
「どうぶつのえですか?」
ゾウにキリンにライオン。
カラフルの可愛らしい絵柄からそれだけは読み取ったらしい子どもが、首を傾げる。
「・・・・・・並盛動物園、って書いてあると思うけど」
「おれ、じ、よめません」
「・・・・・・そうだったね」
しかも漢字。完全にアウトだ。
せめてひらがなくらい小学校に入る前に教えた方が良いと奈々に進言してみるべきだろうか。
子どもの困惑に気づいたのか、今まで静観していた奈々が、ずい、と子どもの手の中を覗き込む。
「あら、動物園の入場券」
「にゅーじょーけん?」
「これがあったら動物園に入れるのよ」
「ほんとっ?!」
母親の言葉に子どもは目を輝かせた。紙切れの正体がわかり、
その価値をおぼろげながら理解し、元々緩んでいた頬がここまでいくと
筋肉がないのではないかというぐらいにへにゃへにゃになる。
口元に紙を寄せて、ゆるんだそれを隠すようにあてる。
何故か雲雀はそんな子どもを抱きしめたくなったので欲求のままにそれを実行した。
ぎゅむ。
「うわぁっ」
「まぁ」
驚きの声は無視。嬉しそうな声はそもそも理解不能。ぎゅうぎゅうと柔らかく小さな子どもの身体を抱きしめる。
子どもを抱きしめるのも触れるのも初めてではないが、いつ触れても心地よい体温だと思う。
他人と接触するなんて嫌悪しかわかないのだから、この子どもは特別な何かを発してでもいるのかもしれない。
大真面目にずれたことを考えながら抱き心地を堪能し、ひとしきり満足した後、
ゆっくりと子どもの身体を解放すると、最後に頭を撫でた。うん、と何かを決めて頷く。
「今日は帰る」
元々思いつきで訪れたのだし、いや本来ならやりあってから帰る気ではあったのだけれど、
今日一日くらいは見逃してやってもいい。さすがに、せっかくの誕生日を喜んでいる子どもを
悲しませたい訳ではない。自覚はないくせに雲雀は当然のようにそんなことを考える。

「え・・・・・・」

だから。
だから驚いたのだ。子どもが、ショックを受けたように顔を強張らせた事に。
「かえっちゃうんですか・・・・・・?」
戦わないの?言外にそうにじませる声は、いつもなら喜ばしさを含んでいるはずなのに、
今日はただ悲しげだ。それが不思議で。まさか戦いたかったわけではあるまい。
「今日はいいよ。たまにはね」
「でも・・・・・・!」
なんとか雲雀を引きとめようとする子どもに、助け舟はいつものところから訪れた。

「ね、恭ちゃん、せっかくのプレゼントもあることだし、どうせなら
お夕飯の時間までツッくんを動物園に連れて行ってもらえないかしら?」

(は?)
ただし内容はいつもと随分違う。
「僕が?」
「私はご飯つくるので手一杯だったから、ツッくんは暇しちゃってたの。
でもツッくん一人じゃ危ないし。恭ちゃんが一緒にいってくれたら安心だわ。
終ったら恭ちゃんも一緒に家にきてね。ご馳走いっぱい作ってまってるから!」
お願いね恭ちゃん!
『お願い』のはずがいつの間にか決定事項になってしまっている。
まだ小学校にも入学していない子どもにさらにひとつ下の子どもをまかせるのはどうなんだと
一般常識的には考えるだろうが何せ雲雀だったので妙な説得力があった。
雲雀がやった入場券が2枚だったのは奈々と行くだろうと思ってのことで、まさか自分が一緒に
行く事になるなんて考えてもみなかった事態である。
大体、実は雲雀は子どもと戦闘以外の名目で出かけたことがない。どうしていいのかわからない。
だが確認するように子どもを見れば、縋りつくような視線をよこさられたので、
気づけば雲雀は頷いてしまった後だった。






入場した後の別世界にふあーと子どもは間抜けな声をあげた。
独特の匂いと、どこからか聞こえる動物の鳴き声。
「すごい」
「奈々ときたことないの?」
「とーさんもいっしょにいったっていってたけど、おぼえてないです」
子どもの年齢から考えれば覚えていなくとも妥当か。余程物珍しそうにあたりをきょろきょろ見回している。
「ほら、こっち」
一応見て回りやすい順路に促せば、子どもは感嘆しながら雲雀を見た。
「きょうやさん、どうぶつえんきたことあるんですか?」
「一時期は通ってたよ。おもしろかったし。ライオンまで制覇したからやめたけど」
何がおもしろかったのか、その制覇が何を指しているのかは
もちろん雲雀という存在を色々理解していた賢明な子どもは聞かない。
大型動物の傍を通る度に、その動物達が揃って雲雀に服従のポーズを見せるなんてことももちろんなかった事にした。
雲雀にはさっぱりだったが、子どもはゾウだキリンだとはしゃぐ。
何度か駆け寄ろうとして転んでいた。起き上がらせて埃をはらってやるとことのほか喜んだ。
特にネコ科の動物がお気に入りらしく、ライオンやら豹やらの檻の前で立ち止まるとなかなか動こうとしなかった。
時折ちらちら雲雀の顔を確認してへらへら笑うのは理由がわからずいただけなかったが。
かと思えばヘビのエリアに行った時はガラス越しで、ライオンより余程安全だとわかっているにも関わらず怯えていた。
爬虫類は駄目らしい。通路ではずっと雲雀の背に隠れるようにしながら歩き見ていた。
雲雀はといえば何故かヘビの類を見るとふつふつとした苛立ちに似た不快な思いが
湧き上がってきて、これは一生好きになれないと確信する。あのフォルムだとか、にょろにょろ伸びた舌だとか、
根本的にそりが(ヘビ相手にそういうのも変だが)合わない。むしろ大嫌いだ。
こんなのが自分の並盛にいるなんて許せないので、今度撤去させてやろうと心に誓う。かなり理不尽である。
ふれあい広場、と銘打った敷地内では本物の草食動物が群れていた。
微妙な気分ではあったが、子どもは兎に触れるにも相当おっかなびっくりで、雲雀は少しだけ笑った。




奈々が昼食になる予定だったあれこれを手早く詰めてくれたお弁当―今回は食べやすいようにサンドウィッチ―を食べながら、
おかしなものだ、と雲雀は思う。
隣には、はむはむとパンを頬張る子ども。時々ぽろぽろとそのカスが膝の上に落ちていく。
まだまだ幼い雲雀よりも小さな身体、小さな手。瞳だけが大きい。
動物相手にはしゃいで、食べるという行為さえまだまだ下手な、普通の子どもらしい子ども。
自分が、こうして誰かと並んで昼食をとるなど、違和感がいなめない。

子どもと自分の関係はなんだろうと思う。

好敵手、だけではなくなってしまった。
だって自分はこうして子どもと、争い事の関係のない時間をすごしてしまっている。
子どもが楽しそうに笑っているのを、嫌いじゃないと思ってしまっている。
―――ずっと一緒にいると、約束をしてしまっている。
これはどう考えても、単なる知人や好敵手ですむ関係ではない。
何かを考えかけたが、それはつたなさの残る声に邪魔された。

「みろよ!あいつらふたりだけでまわってるぜ!でーとだでーと!」
「でもどっちもおとこじゃん」
「オレしってる!ほもっていうんだぜほも!」
「えー、きもちわりー」

ぎゃはは、と声のする方に目線を向ければ、家族連れだろうか、はしゃいでいる子どもの集団。
それなりに距離があるので子どもは聞き取れていないようだが、雲雀は聴覚も鋭かった。
あの年頃特有の、興味があるのだろう、知ったかぶりでそういうことをからかったり馬鹿にしたりしたがる
典型的な精神年齢の幼い連中。馬鹿馬鹿しいと思う。いっそ綱吉のように完璧に子ども子どもしている方が余程ましである。
とにかく、雲雀自身は言ってることはどうでもいいが、群れだ。まごうことなき群れだ。
そして、雲雀のお気に入りを侮辱した。
兎やら馬やら本当の草食動物なら我慢できていた不愉快さが、ここにきて一気に噴出する。
雲雀は苛立ちを自覚するやいなや、こんな時でも持っていた愛器をちゃきりと鳴らし、群れに向かって歩き出す――

歩き出す、つもりだった。

「何?」
群れの方へ向かうはずだった雲雀の身体は、その手を拘束する小さな両手に止められる。
じっ、と物言いたげな瞳が雲雀を見つめていて、その問いには答えない。
ちょっと咬み殺してくるだけだよ、と続ければ、ぎゅうう、と握られた手の力が強くなる。
「綱吉?」
「・・・・・・なんでもないです」
むすりと全然なんでもなくない顔で言ったところで説得力はない。
「怒ってるの?」
珍しい。呆れることや怯えることや泣くことは多々ある子どもだが、怒ることは滅多にない。
基本が事なかれ主義だから、あまり事を荒立てたくないのもあるのだろう。
「・・・・・・ちがいます」
「じゃあ何拗ねてるのさ」
「すねてません!」
どうやら拗ねているらしい。むきになって否定してくる姿は、
むう、と頬を膨らませ気味で可愛らしい。
「どうしたの」
「……」
子どもがぎゅうぎゅうと両手で握っている手を、振り払う気にはなれない。
こうすることで、子どもは何を願っているのだろう。懇願するような瞳を見ながら思う。
考えてもわからない。

いかないで。
ここにいて。

その子どもの想いを、雲雀が気づく事はないけれど。
ただ、視界から遠ざかっていく群れと、その手を見比べて。
しばし逡巡した後、その温もりを強く握り返す。
子どもの顔がぱっと輝いた。
それに悪い気はしなくて、だからきっと、雲雀の答えは間違っていなかったのだろうと思う。




結局それからずっと二人は手を繋いだままで、おかげで雲雀は子どもから離れようとはしなかった。
園内を回る間も、
ちょっとした休憩も、
お土産品店で目移りばかりしている間も。
群れも気に食わない輩もこの間だけは我慢して、すると子どもはひたすら嬉しそうで。
子どもは争い事が嫌いで、だから雲雀との行為だって本当は嫌がっていて、でもいつだって笑顔で雲雀を見る。
帰り道の途中で、我慢というものをほぼ初めてした雲雀は、それでもどこかで満たされていた。
「他にどこかいきたい所はある?」
「ふえ?」
さんざん目移りして見ていたら、結局雲雀が買ってくれた黒豹のぬいぐるみを抱きかかえながら子どもはきょとんとした。
「動物園以外で、行きたい所」
子どもはぱちくりと目を瞬かせて、意図もわからぬままに真面目に考えだす。
「えーっと・・・・・・いるかさんみたいです!」
「水族館?」
「わかんないですけどたぶん。おさかないっぱいいるところ!テレビでみました!」
子どもらしい答えだった。魚を見せて、これがマグロだと教えてやるのもいい。
理由を言ったらまた拗ねるかもしれないと思って、なんとなく楽しくなった。
「来年・・・・・・」
「?」
「来年は、水族館に連れて行ってあげる」
今度は貰い物なんかではなく、きちんと雲雀が全部用意して。
毎年、君が行きたい所に連れて行ってあげる。雲雀のおかげで喜ぶ姿を見て、それで。


「はい!」


元気な返事に、強くなる手の力。



それできっとまた手を繋ぐんだろう。




これの前のまともな更新がひばたんという恐ろしさ。
おめでとうツナ!雲雀さんが毎年お祝いしてくれるよ!


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