「なんで追いかけなかった?――勝てたんだろう、あいつに。みすみす持っていかせやがって」
青褪めはじめた顔で、綱吉は力無くゆっくりと首をふる。
敵は退けた。一方謎の少年が持ってきた指輪は、油断した隙に奪われた。
追いかけることもできた。それこそ、家庭教師の言うとおり、敗北を味あわせることさえ。
事実綱吉は大した怪我もなくその場に立っているのだから。だが。


「……必要ないはずだ」


多分、あれは奪われてもよいものだった。
必要がないなら、わざわざ好き好んで争いごとに参加することはないだろう。
根拠なんてない。あえていうならただの勘。だがこんな時の自分の勘が、
憎々しいほどよく当たることを綱吉は知っていた。
家庭教師はおもしろそうに口の端を上げる。
「――なるほどな」
どうでもよかった。そんなこと。
少し震え始めた己の指先を思う。動きは絶好調とはいい難い。本気になりきれていない部分が躊躇をうむ。
完全に銀髪の男が去ったと確信した途端、ぐらりと身体が崩れ落ちる。
「……っ」
頭から指先まで完全に血の気がひいて、寒かった。なのに神経は興奮して熱い気がする矛盾。
冷や汗が背中をつたっていく。恐ろしい。怖い。身体が震えた。

やってしまった。

見られてしまった。

能力、動き、異質さ。

(大丈夫、今はあの時とは違うんだから……)
今いる友人達は、あの時の子ども達のようなことを言ったりしない。
恐ろしいものを見る目つきで怯えたりはしない。だから今も戦えたんだろう。
大体、リボーンや獄寺なんて黒曜戦のときにも同じように全てを見ていた。信じなくてどうする。
わかっている。頭ではわかっているのだ。理解している。
(でもー……)
言いきかせようとしたって、身体の震えはとまらない。
だっていい訳なんてきかない。死ぬ気弾を撃たれたわけでもなんでもない。
撃たれたわけでもないのに灯せた炎が、己が異質であることを思い知らせる。
地面が歪む。呼吸が苦しい。ぜえぜえとままならない呼吸が、耳障り、で――……


「おいっ、ツナっ?!」
尋常でない弟分の様子に、加勢に現われた兄弟子は声を荒げる。
慌ててかけよろうとすると、元家庭教師がそれをとどめた。
「ちょ、リボー……」
「問題ねぇ。連絡してあるし、すぐに適任者がくる」
「適任者っ?」
狼狽しているディーノとは違って、家庭教師は冷静だった。それがディーノには信じられない。
「適任者って、早くしねーとツナの様子が……」
言い争うのももどかしい。昔からこの家庭教師が何を考えているのかはわからなかったけれど、
今は大人しく聞けそうにない。だって弟分の様子は普通じゃない。適任者なんて言っても、誰もいないではないか。

傍に、いってやらなければ。




「綱吉」




そう、思ったのだ。その声を聞くまで。

「綱吉。こっち向きなよ」

綱吉にかけよろうとしたディーノの背に。
その声は荒くなった息のせいでかすれていた。低く、そう大きくはないのによく通る。
それはディーノには聞き覚えのある声で、だからこそ信じられなかった。
だって彼が知っているその声の持ち主が、こんな所に、こんな状態でくるはずがない。
方を上下させて、息を切らせて、顔を紅く、汗を流しながら。
こんな声をだして、ディーノの弟分を呼ぶはずがない。
(そんな、はずがー……)
驚愕は信じる心を持たせない。しかし視界はそれを裏切った。


そこには予想通りでありながら、予想を裏切る少年がいた。


厳しい顔をして、黒い衣をたなびかせた少年。
「きょう、や……?」
唖然と口を開けたままのディーノなど視界にも入れず、少年は真っ先に地面にうずくまっている綱吉に駆け寄ると、
あろうことか正面から優しく抱きこむ。
「綱吉」
耳元に唇を移動させ、彼は確かな感情をこめてもう一度呼びかけた。
はっと綱吉の俯いていた顔が上げられて、雲雀の姿を確認するなり、その表情がぼろぼろに崩れ落ちる。
驚愕と困惑と、しかし強張った頬がゆっくりと緩められ、過呼吸寸前だった息が一瞬とまり、これ以上ないほどの、

安堵、を。

「きょ、やさ……?」
「うん」
「ふっ……うえっ……」
「まったく、勝手にこんなことになってるんじゃないよ」
「だっ……て……恭弥さん恭弥さんっ……!」
強張り凍っていた表情が崩れた後にあるのは涙。彷徨っていた腕が、雲雀の背中へとまわされて、
2人はしっかりと抱き合う格好になった。その体温に胸がいっぱいになって、熱い。
こみ上げてくる衝動全てが息を詰まらせる。苦しい。けれど呼吸は落ち着き、身体から力は抜ける。
もう大丈夫だと、本能が警戒をほどいていく。ああこの人は。
本当に、誰よりも。


「馬鹿な子だね、――知ってるだろう、僕がいる」


優しさと、愛おしささえ込められた声色。
返事はなかった。だが雲雀の腕の中、ちらりと見えるその頭部は、
雲雀の胸元に押し付けられて、縋るように頷いた。


しょうらいのゆめはなんですか 3



「おい、ツナっ?!」
「気を失っただけだ。大騒ぎすんじゃねー」
雲雀に抱きしめられてしばらくすると、くったり力をなくした弟分に、状況のわかっていないディーノは慌てる。
雲雀はそんな動揺など歯牙にもかけず、無言でそのまま意識の途切れた身体を抱き上げた。
家庭教師を除いたディーノを始めとする周囲の困惑など無視して歩き出そうとする。
「っておい、どこ行くんだキョウヤ!!」
「……連れて帰る」
さすがに立ちはだかれば煩わしそうな声。どけ、とその目が語っている。
一瞬ぎくりとしたディーノの代わりに、雲雀を止めたのは彼をも認める家庭教師だ。
「待てヒバリ。そいつに説明しねーといけないことが多い。今連れて行かれちゃ困る」
「そっちが呼び出したくせに都合がいいね」
「ツナがこんな状態なんだ。風紀委員からの連絡より早くて助かっただろ」
何せ関係者直通だからな。
「……」
む、と雲雀がリボーンに対するには珍しく口元を歪める。
「ディーノが用意した廃院がある。そっちに頼む」
雲雀は一瞬迷ったが、すぐに仕方ないと溜息をついた。
その理由がきちんとした設備があるだろうということだったのか、リボーンの頼みだったからなのか、
はたまた予想のつかない他の理由があったからなのか。そのあたりはわからなかったが。


「あの、リボーンさん?」
「何だ」
「どういうことだよなんでキョウヤがツナを抱っこっつーか抱きしめっ?!」
2人のやりとりを黙ってみているしかなかった(むしろ黙っていなくても相手にもしてもらえなかった)ディーノからしてみれば、
敵襲よりも余程驚くに値する事態に叫ばなければやってられない。
「後で本人にきけ」
「……キョウヤが答えてくれると思うか?」
「気分次第じゃねーか?」
最も今の機嫌は最悪だけどな。容赦ない。けれど昔からのスパルタに耐えてきたディーノは負けなかった。
(と、とりあえずツナの安全だけは確保しねーと……)
「あ、キョウヤ、後はオレが運ー……」

殺気つきの瞳で睨みつけられた。

それからあれやこれやの手、説得をしてみても、雲雀は絶対に綱吉を渡そうとしない。
移動の車の中では離すまいと抱きしめたままだし、病院に運び終えた後も離れようとしない。
家庭教師もその方がいい、とスルーだ。
ディーノは驚愕しっぱなしである。何が驚いたって、雲雀の態度が一番驚きだ。
車内でのことを思い出すと乾いた笑いしか出てこない。
無表情、むしろ不機嫌そうな顔はしているが、綱吉へ接し方、触れる仕草、向ける声色。
全部が全部、どこか柔らかみをもっていて、傷つけまいとする優しさを感じる。
いまだ目じりに残る水滴をぬぐってやり、まとわりついた砂埃を髪をすいて落とす。
身じろぎすれば白いシャツが汚れるのも構わずに抱き寄せる力を強めて距離を狭める。
いや最後のはちょっとまて。
「ちょ、キョウヤ、それはないんじゃねーか」
「何で」
「なんでと言われても、いや、その……スイマセン……」
あまりに純粋に不思議そうな顔をした弟子に言われて、微妙な想像をしてしまった自分に
逆にいたたまれなくなった22歳職業マフィアのボス。


このへなちょこめ。
家庭教師の懐かしい呼称は、静かな車内でよく通った。





リクエスト第9弾。
一体何話かかるんでしょうね。


2009.2.12

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