怒りで我を忘れる、なんて事が、まさか己の身に降りかかる日がこようとは思わなかった。
「きょ・・・・・・や・・・・・・さ・・・・・・」
以前の様に名を呼ぶその声に、今まで隠してきたことが無駄になるよ、と冷静な部分で考える。
けれどそれを忘れるほど、ぼろぼろになって、へたれこみながらくしゃりと泣きそうに歪んだ顔。
頬には裂傷、そこから流れ出る液体の色は、あか。
目の前には、よりにもよって自分の目の前でこの子を傷つけようとした男。
散々なぶられた、屈辱の瞬間よりも強く、激しく、深い、真っ黒な、湧き上がってくる衝動。
身の内が喰い破られるような、怒り。

(触れるな―――・・・・・・!!)

みしみしとトンファーの持ち手がきしむ。

触れるな。
お前が、その子に。
あんな男につけられた傷など、決して許せるものではない。
何故ならその子は。
その、子は―――
(つなよし、は・・・・・・)
脳天に直接与えられたかのような衝撃。


何を、考えた?


くしくもそれは、今現在思考を支配している少女が、かつて少女自身にしたものと同じ問い。




その子は、僕のものだ、と。




ああ



(なるほど、ね・・・・・・)
初めて、自分の感情を理解する。怒りに支配されている思考の中で、ひどく場違いな感情。
「そういうことか・・・・・・」
誰にも聞えはしない呟き。
他人が傷つけられて怒りを覚えている自分、これまでの心境。
様々な理由を、初めて理解した。ならば。


―――殺さなければ。


決めていた。幼い頃から、当然だと思っていた認識。
自分に限ってそんなことあるはずがないというのに、何を考えていたのか。
その答えには、なるほど言うしかない。なんて滑稽なのだろう。だからこそ。

怒りのままに武器を構える。


(その子を傷つけていいのは―――・・・・・・)


僕だけだ。











どくり、どくり。
血流を感じる、音。
キィン、キィン、と、目にもとまらぬ速さで繰り広げられる争い。
この事件を引き起こした根源である男を、直前までふらついてさえいたその人が、咬み殺そうと。
呆然とそれを見守りながら、ガンガンと、脳内では警鐘が鳴っている。
身を、引き裂かれるような不安。
(恭弥さん恭弥さんきょうやさんきょうやさん―――)
「恭弥さん!!!!」
病を退けていた人が、決着をつけて見せた瞬間、
乾いてはりついた喉から紡がれる、かすれた声。

同時に、ふらり、と崩れ落ち、地に向かう身体。




頭が、真っ白になった。




ビデオをスローモーションで再生したような、ゆっくりとした光景。
「あ・・・・・・」
理性も何もかも、今までの関係を隠す為に行なってきた努力も、全て頭から消えた。

「あ・・・・・・ああ・・・・・・」

ひゅ、と息が乱れる。
浅い呼吸をくり返せば、酸素が足りないのか、目の前がちかちかとまたたく。


――またね綱吉。


覚えている。誰より平等な人だ。
ただ1人、オレを受け入れて、これまでずっと一緒にいてくれた人だ。
ずっとずっと、何時からかわからない頃から、焦がれてきた。

この1年、巻き込まない為に、離れてまで。





では、これは何だ。





「あぁぁあああああああああああああーーーーっ!!!」





ツナ?と驚愕した家庭教師の声も、届かない。
なだれ込む勢いで、恭弥さんに駆け寄って、膝をつく。
手を伸ばしかけて、かたかたと思うように動かない腕が苛立たしくて、思い切り地面に叩きつける。
痛みがあることなんて考えもしない。震えが止まった事を確認して、再び手を伸ばす。
恐る恐るその頬に触れれば、血液が足りないのか青白い肌に、確かな熱。
(―――いきて、る・・・・・・)
そこでようやく、感情を取り戻した身体が、その瞳に大粒の水滴を貯めていく。
つ、と頬に伝わる感触は、無意識だった。

気を失っている恭弥さんが痛々しい。
致命傷がないかを全身くまなく確かめて、あまりに酷い状態に、早く病院に連れて行かなければ、とそれだけを思う。
どうしてこの人はこんな身体であんな無茶なことをやってのけるのだろう。
骸の言っていた通り、骨のあたりに変な感触。折られている。立つ事もできるはずないのに。
裂傷と擦り傷と土埃にまみれた白い肌。血がにじんだ白いシャツ。
内部だってきっとぼろぼろで、骨だって折れてて、どれだけの痛みかなんて、想像もできない。
怖かった。
この人が失われてしまったら、どうしよう。
「恭弥さん恭弥さんきょうやさんきょうやさんきょうやさん―――・・・・・・!」
嫌だ。嫌だ。
「やだ・・・・・・いやだ・・・・・・起きてください恭弥さん・・・・・・」
(いやだいやだ嫌だ嫌だ嫌だイヤだいやだいやだいやだ―――!!)
再び、がたがた、とみっともない程身体が震えている。
訳もわからず体中どこかへ叩きつけてしまいたかった。
そうでもなければ、この身で暴れている激情を制御できそうにもない。
生きている。今は眠らせてあげたほうがいい。わかっているそんなこと。
でも、今まで誰にも、傷つけられることなんてなかったこの人の、こんな姿。

鳴り止まない、警鐘。

じわじわと何かが身体を変質させていくような、冷たい意識。その、意味。

知りたくなど、なかったのに。

どこか覚えのあるその感覚がもたらす予感に、ゆっくりと振り返る。
そこに、いたのは。


「おや、気づかれましたか」


心底愉快気に起き上がる、オッドアイ。

人を、憎いと思ったのは初めてかもしれない。
その男がこめかみへとあてる銃創を、やめさせようとも思わなかった。

(どうせ、必要ない・・・・・・)

銃声と同時に倒れていく身体を、ぼんやりと、無感動に見ていた。
先程も似た光景を見たはずなのだが、随分と違うものだ。
一度、ぎゅ、と恭弥さんの制服の裾を確かめるように握る。

ゆっくりと、立ち上がった。

意識が妙にクリアだ。どうすればいいのか、手に取るようにわかる。
獄寺君に手を貸してもらおうと伸びるビアンキの腕を、ぱしり、と捕まえる。

「ツナ?」
「10代目・・・・・・?」

姉弟の、不思議そうな視線を受けて、でも意思は揺らいだりしなかった。
「オレは」
ああ目の前が赤く見える。何故だろう?
「オレは絶対にお前を許さない、骸」
絶対に絶対に。お前なんかに。
言っていることは過激なのに、口調はとても静かだった。色んな感情がごちゃまぜになって、
どれを出したらいいのかわからない。
「お前は、あの人を傷つけた」
脳内に焼きついた光景が目に浮かぶ。
血。
あか、あか、あか、い。
レオンがいつの間にか生み出しはらはらと落ちてくる手袋を、掴み取り、口元に銜えながら、するりと手にはめる。
中に入っていた小さな塊を、師の方向も見ずに投げつけ。

(――頭、痛いな)

ぼんやりと思う。なんかガンガンする。血液が沸騰しているように熱い。
自分が拘束していない、空いている方の腕で顔面へと向けられる三叉槍を、軽く首を傾けて避ける。
突然の姉の行動に目を見開いて驚く弟と家庭教師の存在が、ひどく遠くに感じた。
今オレの世界に存在するのは、オレと、彼と。

「さぁ、さっさと自分の身体へ戻れ」

ああオレもこんな声出せたのか。
恭弥さんが知ったら驚くかもしれない。
きょうやさんきょうやさんきょうや、さん。
おかしいおかしいおかしい。こんな冷たい声だせるのに、気を抜いたらまた泣き出してしまいそう。

怖い。怖い。怖い。
オレは、貴方が傷つけられてしまうことが、何より怖かった。


巻き込んでごめんなさい
傷つけてごめんなさい
役にたたなくてごめんなさい
でもお願いです








――――嫌わないで。











「オレがお前を潰してやる」
世界に存在しているのはオレと彼と。



敵、だけだ。


ゆめがついにおわりました side-A



>>

望んだことなんか、なかったのに。

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