おかしな話だ。
だんだんと能力を失い、他人に卑下される対象になっていく君は。
どこか、安堵しているように見えた。
薄暗い白い部屋、独特の薬品の匂いのまじった空気。
(―――病院)
なるほど、あの後誰かが(といってもあの子どもらしかいないが)運んだのだろう。
身体の反応が鈍い。動作する度にはしる痛み。眉根を寄せる。
病気ではなく怪我で入院するなどと、今までの己にはありえなかった失態だった。
ふと、部屋の中に自分以外の気配を感じて、姿を確認もせずに、その侵入者へと言葉を向けた。
「―――赤ん坊かい」
「ちゃおっス、ヒバリ。見舞いにきたぞ」
よくもまあ白々しいことを。あまりのわざとらしさにふ、と笑んだ。
「こんな時間に?」
窓から差し込むのは、淡い月明かりだけだ。
しばらくは医者の見回りもないだろう、真夜中と表していい時間帯。
「人が居ない方がよかったもんでな」
「素直だね」
「まあな」
とりとめのない、会話。静かな。
「――何が聞きたいの」
「何故そう思う?」
その口調はこちらを試しているようで気にくわないが、今は話を続けなければならない。
こんな時間に赤ん坊がやってくる、理由があるはずだ。
「あの子どもを連れていないから。あの子に知られずに確認したいことがあるんだろう?」
赤ん坊の傍には誰もいない。あの子も、あの子に群れている草食動物達も、赤ん坊の愛人だとかいう人物も。
誰にも知られずに話したいという意思表示。
クッ、と赤ん坊の口角が上がり、ニヒルに笑う。
「頭が良い人間は好きだぜ」
「僕もだ」
「じゃあ最初に言っておく。ツナは無事だぞ。極度の興奮状態で精神の方がまいっちゃいるが、身体的には軽傷だ」
「・・・・・・!」
迂闊にも息を飲んだ。
それをわざわざ言う理由。
瀕死だったとかいう人間ならばともかく、普通なら自分が興味を向けないはずの事柄を、あえて伝えた意図。
「・・・・・・そういうこと」
喉元をすぎれば、心は、静かだ。元々、自分は隠したいと思っていた訳ではない。
やっときたか、という苦笑。溜息をつきたくなるような。
「まあな。単刀直入に聞くぞ」
「オメーら、どういう関係だ?」
静謐な空間で、その声はおごそかだ。
その赤ん坊の言葉がなんだか可笑しくて、またしても口元がつりあがる。
それではまるで、とても仰々しい関係のようだ。
「一番確実な関係を言うなら・・・・・・そうだね。幼馴染、かな」
その時雲雀は、かの赤ん坊の眉がピクリと跳ね上がるという珍しい光景を目にする。
「・・・・・・いつからだ」
「もうすぐ10年に近いぐらい」
なげぇな、と赤ん坊が呟いた。
そうだ、長い。
あの子は自分と最も長く関わりがある人間だ。
よくもまあ、もったものだと思う。
「おかしいとは思ってたんだ。黒曜で倒れたオメーを前にした時のツナの様子は、尋常じゃなかった」
むしろあれは錯乱、と言ってもいい。あの瞬間、恭弥さん、と必死に呼ぶツナには、雲雀のこと以外頭になかった。
だからこそ、今まで隠してきた事柄が明るみにでるような行動をした。
「・・・・・・そう」
あえて聞きたくはない言葉だった。どれほど酷い有様だったのかは知らないが、まず確実にあの子は泣いたのだろう。
ちっ、と思わず舌打ちをする。
あの子どもを不安にさせることがこんなにも苛立たしいことだなんて、自分でも思っていなかった。
できることならこんな傷ごときで気絶した、あの瞬間の己をなぶり殺してやりたい。
「俺が調べた時にはそんな情報はなかった」
「僕が隠してたからね」
憮然とした赤ん坊に、あっさりと答える。
雲雀には敵が多い。
まだ幼かった頃は力が足りなくて、綱吉や奈々のことを隠さなければ守れなかった。
もう十分に力も権力も情報収集能力も持ち、その必要がなくなった今でも隠し続けているのは、あの子どもがそう望んだからだ。
絶対に隠したかったわけではない。嘘もついていない。けれど。
あえて関係を示唆するようなことはしなかったし、言わなかった。
ただそれを、あの子が望んでいたから。
「大した情報操作だったぞ」
「それはどうも」
なんと身のない会話だろうか。お互いそんなことどうでもよいと思っていることを知っているというのに。
「俺としたことが迂闊だったぞ。あいつがオメーに会う時変な反応をするのは
単に怖いからだと思ってたんだからな」
あからさまに目をそらす怯えた様子。逃げ出したいと全身で主張している身体。
けれど臆病で暴力に徹底的に弱い子どもの事であるから、雲雀に対してそういう反応は、不自然ではなかった。
ある意味ではそれも間違ってはいない。ただし恐れていたのは雲雀ではなく、
雲雀がいつ自分達の関係をばらしてはしまわないかということだったけれど。
常にない自身の失態に舌打ちする赤ん坊を見て、雲雀はくつりと笑う。
「油断のしすぎだよ。あの子はあれでなかなかに強い」
一度決めたことを、必死でやり通すぐらいには。
基本弱いあの子どもは、結局のところ、根本的な部分で、とても強い。
簡単に折れるのに、また息をふきかえす。打たれ強いというのかもしれない。
「そうだな。・・・・・・もうひとつ、オメーに聞きたいことがある」
ああ、これか。
何気ないが神妙な面持ちの赤ん坊に、それがここへ来た一番の目的なのだろうと知る。
「貸し一つでいいなら答えてあげてもいいよ」
無償で重要なカードを晒してやるほど優しくはない。
ただでさえこの赤ん坊には借りを作っておきたいのだから、使える手段は使う。
再びちっと舌打ち。けれど前言を撤回する言葉は返ってこない。
「あいつの身体能力について、だ」
その台詞に、ひっかかりを覚えた。
「・・・・・・へぇ?」
「特殊弾のことは」
「ある程度なら綱吉に聞いた。ふざけた話だったけど」
「なら話は早い。オレは今回、骸を倒す為に、あいつにいつもの死ぬ気弾を上回る特殊弾を撃った」
「・・・・・・あの子が戦った?」
どうやら自分は結局あの忌々しい――骸とかいうらしい―男を咬み殺しきれなかったらしい。やはり殺したい。
「まあそのへんの詳しいことは後で話してやる。問題はそこじゃねえ。あいつは」
「特殊弾を撃たれる前から―――その能力を発揮していた」
そう、何もしなくても、小言状態と同じほどの能力を。
「確かに最近は強くなってきてはいた。だがあれはそんな次元じゃねえ」
明らかに戦いなれてる様子だった。超直感さえ使いこなし、小言弾など、何の効果もなかったのではないかと思うほど。
「おまけに、あいつの身体能力なら必ずあるはずのリバウンドもなかった。
あいつの元の基礎体力自体が、小言弾のバトルモードにさえ対応できるほどあるってことだ」
訝しむ赤ん坊をしり目に、雲雀はなるほど、と納得する。
くつり、と口の端を歪める。
「いいことを教えてあげよう」
2人だけの、いや正確にいうなら草壁を入れて3人しか知らなかった事実。
弱かったり強かったりする変な子どもの、一番おかしな部分。
「あの子は、僕が相手なら戦えるんだよ」
子どもが自らにはめた枷。鎖であり鳥篭であり同時にその存在を保つ為の楔でもあった。
それを自分は疎ましく思っていたけれど、それさえも許容する程の、力。
今思えば、それだけ、という訳でもなかったのだが。
「・・・・・・」
「逆かな。僕以外とは戦えなかった。正確に言うなら、更に幼い頃には、誰が相手でも戦えたらしいけど、
僕としか戦えなくなってしまった。あの子は強いよ。僕が相手の時ならほぼ互角だ。人の気配を察知する能力だけなら、比較にならない」
今は男女というハンデと、1年という歳の差が自分を勝利させているにすぎない。
それを自覚しているし、だからこそ敗れる訳にはいかない。
なんと心躍る。
「けれどその力は他人がいるところでは発揮されない。あの子は、力を持つことを恐れているから」
―――力を失ったところで、君は彼らに同じ存在とは扱われない。
卑下される対象になっていくあの子に、かつてそう言った事がある。
無駄だとしか思えない行為。自分からしてみれば、余計な制約をつける、邪魔なだけの現象。
しかし、その時の答えを、自分は未だ忘れることができずにいる。
―――でも
―――でも、みては、もらえます
泣きそうでありながら、ほっとしたような、穏やかな笑顔だった。
「おかしな話だ。人は異質であろうと、己より劣っている存在ならば受け入れられる」
子どもは優れ存在を否定されるよりも、卑下されようと存在を認められる事を選んだ。
トラウマ。
子どもは存在への否定を何よりも恐れている。
根本的な部分からの否定。人格も何もかもを無視した、どうしようもない。
それによって一時期は対人恐怖症に近い反応を見せていたし、自身に枷をはめた。
けれど。
それも最近になって少しずつ、その楔が外れかけてきているのを知っている。
事実、あの子は今回その能力を発揮したという。ならばきっと、いずれはそれさえもなくなる日がくる。
自身の存在を受け入れてもらえると、この赤ん坊を筆頭とした周りの存在を、信じ始めている。
変化、変質、変容、成長。
同じく『異質』であった雲雀では与えられなかったもの。
それは望む方向へ向かってはいる。群れはいらないが。
赤ん坊は何も言わなかった。断片的な話ではあったが、あらかた理解したのだろう。
あとは自分で調べればいい。もう雲雀には、隠す理由がない。
小さな口が、ふぅ、と小さく息を吐く。
「――あいつはボンゴレの10代目だ。いずれはファミリーのボスになる」
「マフィア?」
「そうだ。止めるか?」
「どうして?」
雲雀は心の底から不思議そうに聞く。どうしてそんな必要があるのかわからない。
黒衣の赤ん坊は、そのあっさりとした雲雀の答えが意外だったのか、おや、と少々驚いたような表情をした。
「別に僕はあの子がマフィアだろうか警官だろうがどうでもいいよ。なりたいのならなればいい」
そんなことは綱吉自身が決めることであって、雲雀の介入は必要ない。
もしあの子が本気でマフィアになりたくないのなら、そして雲雀に助けを求めるのであれば、
それを強制する連中を咬み殺してやらないでもないが、なりたいなら、なると決めたなら、勝手になればいい。
「ヒバリ、ファミリーに入らねーか」
「やだよ。群れるのは嫌いだ」
にべもない。
あの子どもは知らないだろうが、もう幾度となくされた問いだ。
答えは変わらない。考えるまでもなかった。群れることなど絶対にしない。
例えそれがあの子どもの為であろうと、その在り様を替えることはありえない。
「あいつはこれからどんどんこうした事件に巻き込まれる。守ってやる気はねーか」
「それは勝手にやるからいいよ」
ほう、と今度こそ赤ん坊ははっきりと驚いてみせた。
しみじみとした視線で、今更に雲雀をじっくりと見る。
「ヒバリ、まさかオメー・・・・・・」
「恭弥さんっ!!!!」
その言葉を遮ったのは、必死ささえ含まれた叫び声だった。
「恭弥さんっ!!恭弥さん恭弥さんきょうやさんっ・・・・・・!!よかったっ・・・・・・!!」
「・・・・・・別にこれぐらいで死にはしないよ」
「縁起でもないこと言わないでくださいっ!!」
ガラリと扉を開く大きな音をたてて入室してきた子どもは、息も荒く、地に接しているのは素足。
意識を取り戻してそのまま自分の病室から飛び出して、雲雀の病室を探しまわってきたのだろう、乱れた髪もそのままで。
起き上がっている姿を確認した途端、腕に縋りついてきた。
赤ん坊はいつの間にか消えていた。本題は終わっていたから、急く必要がなかったのだろう。
子どもに見つかる前に。今頃、雲雀から与えられた情報の整理と、さらなる収集をしているに違いない。
安心したのか、腕からは手を離し、ぎゅうぎゅう手を握り締めてくる、涙でぐしゃぐしゃに顔を歪めた子ども。
その腕に真新しい包帯が巻かれているのを見て、眉根を寄せる。
馬鹿みたいだ。
まず、そう思った。
いい加減この子は、人の痛みにもう少し鈍感になったほうがいい。
そもそも己自身、あまりにも無様な体をさらした自分への怒りは、それこそ自身を殺したくなるほどあるが、
身体的な問題なんてほとんど気にしていない。怪我にも痛みにも慣れている。
なのに、本人は気にしていないことを他人であるこの子が気にするのはおかしい。
手にかかる圧力は普通よりも明らかに強くて(それでも雲雀にとっては大したことはないが)まるで縋りついてくるようだった。
・・・・・・そんなんだから。
この子どもがそんな風に恐怖と心配と安堵と、どうしようもない感情を全身全霊で向けて、必死に縋りついてくるから。
その姿が、置いていかれる子どものように、必死で己を求めるから。
だから、余計なことまで思い出してしまった。
こうして晒される姿に、こみこみあげてくる感情がある。
(まったく・・・・・・)
あの男にこの子が傷つけられたと知った瞬間、知ってしまった。
この子を、大事だと、知らず知らずのうちに、随分長いこと思っていた、理由。
存外、自分が鈍感であったことを思い知らされた。これでは子どものことを言えない。
この子があの2人とばかり群れているのが気に食わなかった。
この子が傷つけられることは我慢ならなかった。
この子が泣くことを、どうしても好きになれなかった。
この子がこうして必死に自分の存在に安堵していることが、理解できないのに、嬉しかった。
そういえば自分は先程、守ってやる気はないかと聞いた赤ん坊に、勝手にやるからいい、と答えなかったか。
10年。
己が、この子どもと共にすごした年数。
ああ本当に、鈍いにもほどがある。
(―――綱吉)
どうやら僕は君が好きだったらしい、なんて。
自分が、人を好きになれる人間だとは思っていなかった己が、今更どの面さげて言えようか。
ゆめがついにおわりました side-B
<<
全てが終わった後で、気づいたことがある。