「ふざけてるのかい?君は、さっき僕が何を言ったのかも忘れたの」
僕から離れたら殺してやる。
雲雀は本気だ。もう一度奪われて、あんな思いを味わうくらいなら。
毎日毎日が絶望だった。なにをしてもおもしろくない。なにをしていても満たされない。
何もできない自分が憎くてもどかしくて苛立たしかった。全てに嫌悪感を感じて、世界を呪いたくなった。
「僕は君に告白した。君はそれに答えた。君にはその責任がある」
辛辣な言葉に返されたのは、いい訳でも反論でもなく。
「だってオレにはもうわかんない・・・!!」
「離れたくないはなれたくないここにいたい恭弥さんにいてほしい
また離れ離れになるなんてそんなの・・・!」
辛くて辛くて。毎日泣いてしまいそうで。
「いやだ麒麟なんて・・・!なりたくなんかないのに、オレはここにいたいのに、なんで!
なのにできない、オレの意思とは関係なしに決められてオレがオレじゃないみたいで・・・!」
引き裂かれそうな痛々しさをもってそれは告げられる。
綱吉の心は決まっているのに、本能がそれを否定する。
ねえ。
ねえ。
―――助けて。
言葉にならない懇願。その場に静寂がおりる。
綱吉の嗚咽だけが耳に残る静けさ。雲雀はゆっくりと口を開く。
「――王になるために必要なのは、なに?」
「何、も・・・麒麟が選べばその人が王です。オレがその人に跪いて、誓約し、
それを許した瞬間から、その人は王になる」
そう、と呟いた。
「僕を選びなよ、綱吉」
「・・・は」
「僕が君の王になる」
力強く。
「お、う・・・」
「他人なんかに君はわたさない」
それこそ堂々と。何の悪びれも戸惑いも躊躇も尻込みもなく。
「や・・・やだ・・・嫌です!!」
ぶんぶんと首を振る。もちろん綱吉は雲雀と離れたくない。だけど。だけど。
―――もし、雲雀が王でなかったら。
一緒にいてはいけないと、世界に否定されてしまう絶望は、どれほどのものだろう。
ただでさえ雲雀はあちらの人間ではない。雲雀が胎果でそれも慶の生まれである確率など、考えるだけでふざけている。
雲雀が王だったら。
考えなかったなんて嘘でも言えないほど、綱吉はそればっかり考えていた。
雲雀が王だったらずっとずっと一緒だ。誰にはばかることなく傍に居られる。
綱吉は雲雀のもの。雲雀に仕え、雲雀と共に生きる。その大義名分ができる。
半身と呼ばれる彼の王。
考えるだけで胸をうずかせる想像。
「いやだ・・・こわい」
もしそうじゃなかったら。今すぐ雲雀と別れることになる。
その甘い夢想も消えてなくなるのだ。
その可能性があることを、実行する勇気が綱吉にはない。
「綱吉」
「っ・・・!」
静かな声色だった。なのにどこか力強い。
「綱吉」
「できないっ・・・!オレは嫌です離れたくない!」
言い聞かせるように、いや、言い負かせるように。
「綱吉」
「だって、だって・・・!」
決して、荒げられることもなく。
「綱吉」
ぐらぐらと心揺さぶられながらも、ぶんぶん首をふる。
―――お願い。最後の希望まで奪ってしまわないで。
涙。もう本当に今にもかれてしまいそう。
「やって」
耳を塞ぐ。聞きたくない。
「やって、綱吉」
どくどくと血がめぐる。雲雀の声には力がある。理性とは別の場所で従いたくなるような。
ざわざわと何かが騒ぐ。
そっと雲雀の手が耳を塞ぐ綱吉の手をどけさせる。
「どんなに可能性が低かろうと」
耳元によせられる唇。鼓膜を震わせる声。
「僕以外が君の王であるものか」
(あー・・・)
眩しい。目を細める。ああ、
「跪いて僕を乞え」
さあ選べ。君の一生は僕がもらう。
喉が渇く。甘美でありながら、なんと恐ろしい言葉だろうか。
必死だった。駄目だ。だめなんだ。
「おうさまは、いい王様にならないと、死んじゃうんですよ」
「それで?」
「こっちの世界には戻ってこれなくなるんですよ?」
「君がいなくなるよしマシだよ」
「年をとらなくなるから、とても長い間生きなきゃならなくなるかもしれない」
「人間の強さの限界に挑戦してみようか」
「こっちよりずっと危ないし・・・」
「ワオ。素晴らしいね」
「それから、それから――」
「ねえ、つまらない御託はいいよ。そんなくだらないことばかり細々と言っていたら切がない」
強い意志。絶対に曲げられない矜持。他人に屈しない誇り。ぴんとはった空気を鋭く通過する声色。
「さあ綱吉。――できるよね?」
(あ・・・・)
身体の中で何かがはじける感覚。ぱらぱらと零れ落ちる欠片。勝手に膝を突き、指先が地面に触れた。
次に指の項、てのひら。身体を限界まで折り曲げて。
(だめなのに・・・・)
まだ言わなきゃならないことがたくさんあったはずだ。雲雀を戸惑わせるもの、
その道の厳しさを伝え、思いとどまらせてあげなければ、あまりにも不公平だ。わかっている。本気だ。どうしようもなく怖いのだ。
だというのに何故、この身体は勝手に動く。
誰にだって触れることを許さなかった額を、かの存在の足先に押し当てた。
額に熱が集まっていく。力が、本能がすべてそこに集約されている。
だからこそ、誰にも触れて欲しくない場所。
蘇る口上。
「天命をもって主上にお迎えする」
数秒前に拒み続けていたそれがするすると口をついて出ていく。
とても覚えきれないと思っていたはずの誓い。逃げ続けるはずの言葉だった。
「これより後、詔命に背かず、御前を離れず―――・・・」
たった今。この瞬間わかった。これが運命。これが天啓。
「―――忠誠を誓うと誓約申し上げる」
それは神聖な儀式だ。命をかけた、何にも勝る誓い。
自分はこれから先、何があろうと決して、二度とこの人を裏切らない。
「―――許す」
ふってきた声にゆっくりとたれていた頭を上げる。身体はかちかちに凍っていた。
(うそ……)
そんな、まさか。今、自分は何をした。
信じられない。確かめるように目を合わせたその先。
ほら、できただろう?
その相貌に浮んでいる表情は、ほれみたことかと満足気で、自信に満ちた姿は力強く、
その口元に浮かべられている笑みは妖しいほど美しい。
ふわり。つられるように自然と綱吉の顔に笑みが浮ぶ。
なんであんなに怖がってなんていたんだろう。ほんの数秒前の自分が滑稽でならない。
オレの主。オレの命の片割れ。オレの王。
ご褒美のようにきつく抱きしめてくれた腕が嬉しくて、綱吉は何の翳りも持つことなく抱きしめ返した。