(これって・・・)
聞いたことのない響き。弱々しく不安で彩られたそれのしめすもの。
―――泣きそうなのだと。
わかってしまった。今、雲雀は泣いてしまいそうなのだ。
長い付合いの綱吉でさえ生理的な理由意外の雲雀の涙など見たことはないというのに、
もしかすると物心付いて初めて、雲雀は感情の発露をそれに頼ろうとしている。
綱吉のせいで。
悲しくて悲しくてやるせなくて、悔しくて。瞼が、喉が、熱い。息がつまる。せりあがってくる感情。
「恭弥さん――・・・!」
その名を呼んだ。それしかできなかったからだ。何もできない。何もできないけれどどうにかしたかった。
「きょうやさんきょうやさんきょ―――んっ」
唇が柔らかいものでふさがれる。
噛み付くような、キス。
「んんっ・・・!」
いつの間にか綱吉が抱き込んでいたはずの腕は引き抜かれ、頬はどちらも雲雀に捕らわれている。
逃げられないように固定されて、顔をそらすこともできない。強引に唇を割り開いてきて、
雲雀は全てを奪うように綱吉の中を貪る。
「ふっ・・・」
合間に呼吸をしようと試みて、うまくいかずに苦しい。
何度も何度も、深く、長く続くそれは綱吉の息を荒くするには十分で。
それでも綱吉が抵抗を見せることはなかった。
行き場のなくなった手が、雲雀の服の裾を掴む。なんとか応えようと必死だった。
状況も何もわからないのに、幸せを感じるなんて浅はかだ。
(なんで、なんで―――・・・)
やがて綱吉の精神が持たずに崩れ落ちて、初めてそれは一区切りを見せた。
ぜえぜえと肩で呼吸をする。頬は真っ赤に染まったまま。
「つなよし―――綱吉」
低い声だ。壮絶な艶っぽさを含んだ、甘い、あまい。
金縛りにあったかと思った。くてんと雲雀に身体を預ける。力が入らなかった。
ただでさえ沸騰しそうだった身体が更に熱くなる。一体何がどうなって。
(きょうやさんが、おれに・・・)
胸元に頭を預ければ、雲雀の心臓の音が聞こえる。速い。綱吉と同じくらいに。
きっと雲雀も混乱している。驚いている。あきらかに冷静じゃなかった。
この鼓動もその一部。同じ速さであることに、どこかで少しだけ安堵している。
「綱吉。もう一度会えたら、真っ先に言おうと思ってた」
なんだろう、と思う次の瞬間には、ぎゅう、と痛い程に抱きしめられる。
もう二度と離すまいと。少しだけおかしい。だって。
(そんなことしなくたって、オレは―――・・・)
「君が好きだ」
僕から離れたら殺してやる。
―――オレは、あなたのものなんだ。
意識が遠のいた。比喩ではなく目の前が白く点滅する。
心臓はすでにやぶれているのかもしれない。煩かった鼓動までもう聞こえない。
「え・・・・?」
「君が好きだよ。こういう意味でね」
今度は触れるだけの軽いキスをされて、綱吉は固まった。しばらくの間感情が抜け落ちた顔で絶句した。
熱っぽい視線から逃げるために顔を俯かせて、必死で今の言葉を読み込もうとする。
(う・・・)
じわじわとせりあがってくる感情に、先程から涙腺は壊れている。
「ううー・・・」
ぽろぽろと目じりから流れ落ちるそれに、先程までの陰鬱な感情は含まれていない。
そのまま綱吉はわんわんと大泣きした。目の前にある雲雀の胴体にすがりつく。
雲雀は微妙な顔をした。
「・・・綱吉、泣くのは勝手だけどね。それより先に返事が欲しいんだけど」
「ひっく・・・おれはっ・・・」
返事だなんてそんなもの初めから。ずっとずっと。こうしてその言葉を聞かされて、
今なら死んでもいいと思えるぐらい、歓喜でこうして年甲斐もなく泣き崩れているぐらい。
「オレは、きょうやさんが好きです・・・!!」
俯かせていた顔を上げて、きっと雲雀を睨みつけた。
そして、怖いくらい真剣な瞳に向かって、背伸び。
唇同士が触れる柔らかい感触。
「――――こういう意味で」
すとん、と踵を地面につけて、目線を交し合ったまま宣言した。
あまりに意外だったのか、雲雀はぱちくりと瞳を瞬かせる。
次の瞬間、ふわりと笑った。
「――うん。愛してるよ。沢田綱吉」
それにはもう言葉を返せるほどの余裕がなくて、綱吉は隠れるように雲雀の胸元に顔をうずめた。
結局綱吉は抱きかかえられたまま、ほとんど攫われるように雲雀の家に
連れて行かれた。雲雀の部屋に向かい畳の上に座り込んでからも、雲雀は綱吉を抱きしめたまま放そとしない。
そのままの体制で、「さあ今までのこと話しなよ」と命令する。
「あの、恭弥さん、離してもらわないと話しにくいんですけど・・・」
「やだ」
綱吉の希望はあっさりと却下された。
「やだって・・・」
このままでは綱吉は首を上げ続けるか、雲雀の胸板に向かって話さなければいけなくなる。
それはさすがに大変だ。
お願いですから、と見つめれば、雲雀はその視線をそらした。
俯き顔をみせないまま綱吉の肩口に顔をうずめて呟く。
ともすれば聞き漏らすほどの声量に、綱吉は必死で神経を集中させた。
「・・・君はまた連れて行かれそうだから嫌」
「・・・・!」
ぎゅううと心臓がしめつけられる。罪悪感、悲しみ。否定できない心苦しさ。
渡したくないと全身で表す雲雀に愛おしさがつのった。
「ごめんなさい恭弥さん・・・ごめんなさい・・・!」
今日は泣いてばかりだ。雲雀は本音をもらしてしまった自分を恥じるかのようにそっぽを向いた。
「・・・君、一体どこに連れて行かれたの」
「・・・異世界、です」
信じてもらえるか、その瞳はおどおどと雲雀を伺っている。
それは雲雀にとっては半ば予想していた答えだ。今まで影も形も見えなかった綱吉。
あんな怪しい連中(雲雀基準)が地球上の存在であるはずがない。
「あっちの世界には12個の国があって」
「12?」
「地球とは世界のつくりが違うみたいなんです。こうずらって綺麗に12個並んでるんです」
「ふぅん」
随分人工的な世界だ。作為的なものを感じて雲雀として違和感を感じる。
ひとつの世界に国がたった12。子どもがぐるっと円をかいてみせた仕草から察するに、
相当歪みなく並んでいるらしい。おかしな話だ。
「それぞれの国に王様と麒麟がいて、国をおさめるんだって」
「麒麟?霊獣の?」
「・・・なんで恭弥さんわかるんですか」
「は?」
心なし責めるような目で見られても理解できない。
「いいです。それで、オレは麒麟なんだそうです」
「・・・何それ」
綱吉はどこからどうみても人だ。これまで長くを共にしてきて、
人ではないそぶりをみせたことなどない。
その胡乱気な気配が伝わったのか、子どもはこくんとうなずいて続きを口にする。
「あっちでオレの面倒見てくれた人は変身できるって言ってました」
「馬みたいな姿に?」
「麒麟って馬みたいなんですか?」
大真面目にきかれた。今さっき自分がその麒麟であると言った口で。
この子はお馬鹿だと雲雀は思った。
「・・・君はまずコンビ二にでも行って缶ビールのラベルをみてくるべきだよ」
「えぇー」
綱吉は不満気な顔をするが、このお馬鹿ぶりというか単純ぶりはあまりにも綱吉らしくて、いっそ清々しい。
「あっちの国は、麒麟が王様を選びます。世襲制じゃなくて、
選ばれるのは農民とか商人とか役人とか決められてなくて」
「選ぶ・・・」
麒麟。では綱吉が一国の主を決める、と。
「でも麒麟が気に入った人を王様にはできなくて、天帝っていう神様みたいな人が決めて――」
「まちなよ。麒麟が選ぶんじゃなかったの?」
麒麟が選ぶときいたばかりなのにまた変な単語が現れて続く言葉を遮る。
「あれっ?いや麒麟が選ぶんですけど、麒麟が選ぶ人を選んでいるのは天帝で」
「伝達係?なんだかムカつく。君、そんな奴のいう事を聞いてるわけ?そいつは強いの?」
「ええっ?!わ、わかりません。会ったことないし。本当にいるかもしりませんし」
そこで強さがでてくるのはもはや雲雀基準で当然のことだった。子どもは慣れているので違和感さえない。
「要領をえないね。いるかもわからないやつに命令されるの?」
「違いますっ!ええっと・・・なんだっけ、そう天啓!びびっとくるらしいんですよね。
自分の王に会うと!勘です勘!まあえらそうにいってもオレ実際それがきたことないんで
本当かは知りませんけど」
全部又聞きだし。
「ようはその麒麟っていうのが感じる直感はその天帝とやらが
下しているものと言われているってこと?」
「たぶん」
「麒麟は王を選ぶだけ?だったら君さっさと選んで帰ってきなよ。ああいや僕も行くからさっさと終らせるよ」
ぜんは急げとばかりに本当に立ち上がろうとするものだから、綱吉は血相をかえて雲雀を制止した。
「わあああ!落ち着いてください恭弥さん!それにオレ王を選んでも帰れないんで、す・・・」
あ。
「・・・どういうこと」
底冷えする低音にびくっと反射的に綱吉は震える。
開かれる唇かれでるそれはおそるおそるだ。
「麒麟は王を選んだらその王と一緒に国に行って死ぬまで王に仕えて
政治をするらしくて・・・麒麟専用の偉い役職があるって・・・いっ」
ぎゅうううと抱きしめていた腕の力が強くなって骨まできしむ。
「きょ、きょうやさん痛い・・・」
「駄目」
はっきりと苛立ちを込めて綱吉の願いをあっさりと却下。
「そんなのさっさとやめてこればいいだろう」
「駄目です。麒麟はそういうことできない。王の命令には逆らえない。
なんとなく、わかる気がするんです。オレはそういう生き物なんだって・・・」
それではまるで単なる道具のようだった。天の意思を伝えるための道具。その後は王の道具。
命令に絶対逆らえない。そんなこと、地球で育ってきた綱吉は理性ではまさか、と考えるものの、
直感と呼ばれるそれでは間違いないと継げている。
自分自身が、自分自身の本能を一番よくわかっている。