身体がふわふわとした優しい感触に包まれている。心地よい、甘い香りがした。
目はあけていないけれど、そこに嫌なものなんて何もないことくらい、わかっていた。
なのに。

いまだ覚醒しきらない意識は、じくじくと膿んだ傷があることを訴える。

物理的な傷じゃない。もっと奥、より本能に近い場所。
辛い。
嫌だ。

―――寂しい。

寂しい。
ここには、綱吉を綱吉たらしめる、唯一がいない。
どこにいたってわかると言った。それが、今はこんなにも遠く感じる。
こんなに離れたことなんて、生まれて初めてで、それがこんなにも心細い。
無意識につ、と雫が頬をつたって、その冷たい感触に、朦朧としていた意識が完全に覚醒する。
「お、目が覚めたか」
「……あ」
目に入ったのは金だった。にかっと明るい笑顔。
それが見慣れた漆黒でないことに落胆していることに自嘲する。
「悪かったな。意味もわからないうちに連れてきちまって。怖かっただろ」
「……え、っと……」
どう返せばいいのかわからない。いつのまにか寝かされていた寝台。布団(と呼ぶのかは正直よくわからない掛け物だったが、他にいいようがない)をのけて起き上がれば、まったく見慣れぬ建物の中だった。
そもそもつくりからしてまったく別物で、生まれてこのかた日本からでたことのない綱吉には違和感が隠せない。
「……ここは?」
「ここは蓬廬宮。そしてこの部屋は今日からお前のものだ」
「は?」
ぽかん、と綱吉は呆気にとられた。
「色々順序があれだったんで自己紹介がまだだったな。オレは漣の麒麟で廉麒という」
「はぁ……」
力のない相槌しかうてない。
それがわかったのか苦笑された。



「―――初めまして、景麒」




その言葉は、どれほど残酷なものだったのだろう。








仁道の生き物。王を選ぶ神獣。尊き存在。
説明されたそれは、どれもこれもとんでもないと笑い飛ばしたくなるものばかりだった。
「オレがそんなすごいもののはずがありませんって」
心底真面目な顔をして説明してくれる廉麒と名乗った男に恐縮して答える。
「蓬莱にいたなら信じられないのもわかるけど。俺達麒麟には仲間の気配がわかる。
お前は麒麟なんだ。絶対に」
「そんな……」
「獄寺だってそう言ってただろ。あいつはお前の女怪なんだ。違ったらわからないはずがない」
ごくでら。聞き覚えがあった。あの銀色の影が、確かそう呼ばれていた。
――――雲雀を、傷つけた。
それだけでわきあがりそうになる怒りを振り払う。
「にょかい……」
「本来ならお前の母親がわりになるはずだった存在さ。お前と一緒に生まれて、
お前が生きている限りお前の傍から離れず、お前を守るためにある。
麒麟は自分では戦えないから、身を守るためには使令と呼ばれるそういう生き物を使うんだ」
「え、でも今は……」
先ほどからこの部屋にいるのはこの金の青年だけだ。あの影は見当たらない。
だからこそ綱吉はある程度自分を抑えていられる。
「今のあいつは血で穢れちまってるから、下がらせてる。
しばらくは近づけないだろうな。お前の身体に悪い」
「穢れ……」
「麒麟は血に弱い。暴力も悪意にも。心当たりはないか?」
ぎくり、と心臓が震えた。
異常なまでの血への反応。出会うたびに苦しくなった。雲雀が暴力を振るえば止めたくなった。
綱吉は今までそれを自分の弱さだと思っていたけれど、それがそうではなかったのなら。
「困った事にそういう風にできてる。血なまぐさいものも食べられないし、
脂っこいのもだめだし、それだけで体調も崩す。何も知らず蓬莱にいたなら、相当辛かっただろう」
蓬莱へ流された麒麟は、そう長くは生きられない。穢れが身体を少しずつ蝕む。
「本来ならもう駄目だった可能性も高い年齢なんだ。本当に、無事でよかった」
にっこりと笑うその表情に嘘は見られない。けれど綱吉は泣きたくなった。
綱吉は確かに生臭い食べ物は全て駄目だった。
もしこの話が本当だとして、それでもこの年まで綱吉が元気に生きていられたのは。
恵まれていたのだ、綱吉は。アレルギーでも、その他の問題がまったくないはずの綱吉が、
それを食べて不調を訴えても、あの両親は、子どもの好き嫌いととらなかった。
普通の子どもとは違うところのある綱吉を、全面的に信じて、笑って受け入れてくれた。
愛してくれていた。それを知っている。
それに、何より。

(恭弥さん、が……)

両親の力の及ばない部分でそういった綱吉の体質を信じて、守ってくれたのは、
他の誰でもない雲雀だった。雲雀は、自らの行いで綱吉を苦しめることは多々あったけれど、
それでもそうならない為に、いつだって。
最後の、自身が傷つく事もかまわず綱吉へと伸ばされた手が、脳裏に思い浮かぶ。
ぐ、と唇を噛み締めた。


麒麟?仁道の生き物?慈悲を与える存在?


聞けば聞くほど本当だとしか思えない符号も、けれどたったひとつで覆る。
雲雀が傷つけられた。それだけでこんな。



こんな感情を持っている自分が、そんな綺麗な存在であるものか。



そこで綱吉ははっとした。そうだ。あの影が無事でいるのなら。
「恭弥さんはっ!?」
男に掴みかかる勢いで問い詰める。突然の剣幕に相手は驚いたようだった。
けれどそんなことにかまってはいられない。
「え、っと…キョウヤ?あ、もしかしてあの時一緒にいた……」
「無事ですよね!?」
確認というよりは願い。懇願に近い。雲雀に何かあるなんて、自分の身が引きちぎられるより辛い。
泣き出したい思いで訴えかける。
「落ち着けって!無事無事。お前をこっちに連れてくる時獄寺もすぐ一緒に来たから、
あの時ついちまって傷以外は、誰も何もしてない」
「あ……」
言い聞かせる口調に、へたり、と身体から力が抜ける。
「よかった……」
目の端が盛大に潤ってきて、頬には大粒の雫が流れ落ちた。
(ほんとに、よかった・・・)
ぐずぐずと泣き始めた綱吉に、男はばつの悪そうな顔になる。
「…ほんと、悪かったな。あんな風にいきなりになっちまって。
まさかあんな人間がついてるとは思ってなかったし。あー…友達だったのか?」
「ともだち?」
きょとん、と綱吉は目を丸くする。あまりに耳慣れない言葉だったからだ。
(ともだち……)
はたして自分と雲雀は友達だったのだろうか。
そんな対等な存在だとはとても思えない。雲雀は色んな意味ですごすぎる。
逆立ちしたって釣り合わない。
だが主と下僕というには優しすぎる。
雲雀が最も仲のよかった人間であるとの自負くらいある。だが。
うまく言い表せない。
「なんていうか、その様子見てるとさ、本当にそいつのこと大事だったんだなーと」
「っ・・・・!!!」
かっと今度こそ身体が熱を持った。
「え」
「あ、や、その……」
まずい。とさすがの綱吉も自覚した。何せ顔が真っ赤になっているのが自分でもわかったのだから。
「・・・・え?」
全身真っ赤にした姿。恥らうようにそらされた視線。
何その反応。
廉麒の心情はまさにそれだ。
「いやっ、これはなんといいますかっ、あついですよねあはははは・・・」
さすがにそのごまかしには無理があった。まさかまさかまさかまさか!
「お前、あいつのこと・・・・?」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
好きなのか?と言い掛けた彼の口を綱吉は慌てて掌で塞ぐ。
そんな馬鹿な。


麒麟が、恋をするだなんて。





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