(なんで、なんで―――・・・!)
小鳥を追いかけて走ってきたが、その途中でぴたりと綱吉は動きを止めた。
その間にも小鳥はパタパタと視界から遠ざかっていく。
それでも、綱吉は動けなかった。これ以上は。
(そっちは駄目なのに!!)
気づいてしまった。走れば走るほど、近づいてくる気配。小鳥の向かうその先に、
強くなっていくその気配に。原因たる彼、が、いる。
(なんでよりにもよって)
気が紛れて油断していた。意識しないうちに、かなり近い位置まで近づいてしまっている。
懐かしく、慕わしく、愛おしい気配。
胸がじりじりと焼ける。どくどくと心臓が早鐘をうつ。違う、まだだ。
まだ、出会ってなんかいない。
必死で言い聞かせるその心を無視して、身体は勝手に歩みをすすめてしまっている。
震える足で、1歩、また1歩。
「もど、らないと・・・」
あちらへ、あちらの世界へ、今すぐもどらないと。ひき返せ。
頭ではわかっているのに、あがらえない。
いまや綱吉の身体は雲雀の気配それだけで麻痺してしまったかのように、勝手に動く。
頭の理解なんて忘れて、本能がそれを求める。

小鳥が、飛翔をやめて舞い降りた。

(あ―――・・・・)

小鳥が舞い降りていく先、漆黒の人影は、それだけで綱吉のすべてを奪った。
その人物は自分に向かってきた小鳥に気づき、す、と腕をあげ、指を差し出す。
当たり前のように小鳥はそこにおさまった。
変わらない、流れるような濡れ羽色の髪、姿勢のよい立ち姿、背は少し伸びただろうか、
遠目から見ても、綱吉の記憶とは差異があることがわかる。
美しい人。
ぽた、と胸元の布が濡れる感触がして、その冷たさに初めて綱吉は自分が泣いていることを知った。
ぽろぽろぽろぽろ。声も出さず、無意識のまま零れ落ちる。
まちがいない、綱吉が焦がれてやまない唯一人。
(きょうやさん・・・!)

好きだ好きだ好きだ好きだ大好き。

姿を認めるだけで胸が締め付けられて今にも倒れてしまいそうなくらい痛い。
この一年、どうしてあの人がない中で生きてなどこれたのだろう。
今胸を満たす感情は、満たすどころかあふれ出てき決壊さえさせそうな。

「・・・君」
声、が。鼓膜にその振動が届く。綱吉に向けられたそれではない。
小鳥にぽつりと呼びかけるだけのそれが、やはり以前より低くなっている気がして。
心臓が死にそうだ。
「僕に何か用?」
「キリン!キリン!アルジ!マイゴ!」
「キリン?首の長い草食動物かい?」
綱吉は知る由もないが、雲雀にとって久方ぶりの柔らかい声色。
迷子なのはむしろ小鳥の方だ。最終的に頼るのが何故よりにもよって雲雀なのか。
昔から雲雀は動物には好かれる性質だった。
野生の本能的なものかもしれないが、まさか妖魔までそれに適用されるなんて。
(お願いだからそれ以上喋らせないでよ・・・!)
声がするたびの興奮ですでに綱吉は呼吸困難で苦しい。苦しいのに一生でも聞いていたい矛盾が悪循環させる。
とても立っていられなくて、電柱と看板でできた物影にしゃがみこむ。
視界に入らなければ姿が見えない分、幾分かましだ。


「鳥とおしゃべりか?少年」
「ぶっ、たのしそうだな」
嘲りを含んだ声。はっとして綱吉は雲雀に視線を戻す。
すう、と静かに冷めた目で絡んできた3人組をとらえた雲雀は、うっすらとその口角を上げた。
「俺たちも楽しくなるために協力してくれるよな?お金かしてほしいんだよねー」
あまりにも典型的なくだらない要求。見た目はとても強そうには見えない少年に、彼らは強気だった。
「見ない制服だね。並盛の人間じゃないんだ」
なら遠慮はいらないよね。
気配に敏感な鳥が、バサリと飛び立つ。同じく人よりも獣に近い部分を持つ綱吉の本能も、ぞわりとあわだった。

「僕の町で群れるな」

咬み殺す。

ちゃきりと構えられる銀色。一瞬だった。
一瞬で、綱吉が予想される暴力に反射的に身を固くしたそのすぐ後には、
全員地面でうめき声をもらしていた。震えが、遅れてやってくる。
怖い。
暴力はもちろん怖い。だがそれだけではなく。今まで綱吉が知っていた雲雀と、何かが違う。それが。
正体のわからない不安に襲われわけがわからない。きっと久々に暴力にふれたせいだ。
本能的な理由で身がすくんだだけだ。これで雲雀の粛清も終る。
だから大丈夫だと思った。
「なんだ、まだ意識があるの」
だが雲雀はそんな綱吉の予想を裏切って、再びトンファーを構える。
(え―――……)
血の気がひいた。
「一匹」
ガッ、と鈍い音。
再びうめき声が上がる。綱吉の身体は、かたかたと震えが収まらない。
(だめだ・・・・)
「二匹」
血、が。綱吉が何より弱いそれが。
(やめろ・・・・)
すくりと立ち上がる。足が習慣を思い出したように、勝手に動いた。
駄目だ。
駄目だ、そんなことして欲しくない。
(はやく―――)
はやく、あの人を。
いつだってそうしてきた。それが綱吉の役目だった。
彼はいつだって、不満そうな顔をしても、それでも自分の為に――――…

だから。


「三――・・・」
「やめてくださいッッ・・・!!」


ぎゅう、と振り上げられた腕に縋りついた。
己の行動を害された雲雀が、謎の邪魔者へ向けて、本能から今度は反対の腕を振り上げる。
ビュウ、と空気がおぞましい音をたて、完全なる凶器となった銀色が触れる邪魔者のそのほんのわずか、
髪の毛一筋ほどの距離で、

ぴたり、と止まった。

漆黒の瞳が、まるで世界が崩された瞬間のように、大きく瞠られる。

すべりおちた暴力の象徴が大地との出会いを果たし、カラン、と乾いた音をたてた。


「つなよ・・・」
その瞳の光はさだまっていない。驚愕と衝撃とに揺れるそれは彼の心境をよくあらわしていた。
まともに名も呼べぬままに雲雀は絶句している。
綱吉が抱きしめている以外の、じれったいほどゆっくりと上げられた腕が、
その掌が、確かめるように子どもの頬に触れる。
「・・・!」
触れられた部分がじんわりと熱くなる。心臓は音がきこえそうなほどに働いている。
彼に触れられるのは、一体どれぐらいぶりだろう。

どうしようもなく幸せ、なのだと。

たったこれだけで。
今、目の前に本物の雲雀がいる。
会ってはいけないだとかさようならする覚悟なんて、それだけで全てがふっとんだ。
離れたくない。一生だって、この人の近くにいたい。
全身が歓喜に打ち震えた。王だとか麒麟だとか何の関係もない。

オレは、この人のもの。

なんて甘美な響きだろう。
だがそんな綱吉以上に、雲雀の反応は過剰だった。綱吉に触れることが叶った瞬間、
それさえ信じられないとでもいうように自らの掌を凝視した。
時が止まったような数秒の後、掌へと向かっていた視線が、綱吉の瞳にあわされる。
美しい漆黒はただひたすらに懐かしく愛おしい。ただ、冷静さを失った色だけは、
どれだけ雲雀にとって影響のある人間なのかがわかって、嬉しいような、辛いような相反する気持ちをあじわう。
きっと心配をかけた。なんだかんだ言っても、いつだって綱吉のことを気にかけていてくれた人だから。
あんな別れ方をして、何も感じないはずがない。
(ごめんなさい・・・)
心配をかけたこと、そして心配してくれることに歓喜している罪悪感。
くしゃりと顔が歪むと、すう、と目の前の双眸が細められた。
頬の掌はそのままに、再びゆっくりと、今度は鼻先が触れる距離まで、顔が近くによせられる。
吐息がかかる距離。
世界にお互いしかいない距離。

「つなよし・・・?」

今度はきちんとした名を呼ぶ。似つかわしくない、懇願のような意味合いをこめて。

かすれそうなその声は、聞いた事のない響きをもっていた。





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